“君と同じ”という言葉が響いたのかもしれない。
御剣が改めて気持ちを告げると、それまで腕の中でぎこちなく構えていた彼女の強張りが、いくらか緩んだような気がした。
返事も反応も全くないのが怖くて、御剣は冥を引き剥がすようにして彼女に向き合う。
顔が紅潮していて、照れるような考え込むようなとても複雑な表情をしていた。
敢えて一言で表現するならば、困惑といったところだろうか。
「やっと、受け止めてくれたようだな」
御剣は深く息をついてそう声を漏らした。
いわゆる愛の告白だというのに、言われた側が嬉しそうではないというのは有難いことではないが、
今まで御剣の言葉を色々と理屈をこねては幻想だと結論付けていた彼女が明らかにそれ以外の反応をしたのだから
これは大きな進歩だといえよう。
それに、彼女が喜んで受け入れることができない事情がいくつもあるのだから、この反応は当然だ。
「それで充分だ」
――完全にではなくても、今まで彼女が注いできたものが無駄ではなかったと知ってもらえれば。
そんな思いで御剣がポンと冥の頭に手を乗せると、彼女はひどく穏やかな表情で目を伏せ、視線を逸らす。
「――貴様は本当に、バカなのね」
呆れたように吐かれた溜息には、何処か優しい空気が含まれていた。
――まるで、愛していると言われたような気分だ。
そこからいろいろな感情が湧き出てくる。
思わず御剣が笑みを浮かべると、メイが不機嫌そうに何よ、と呟いた
「いや、私たちはやはり同じなのだと思うと、感慨深いものがあってな」
息を整えながら、御剣は思ったことを素直に返す。
「どういう意味よ」
「私達は相手を思い遣るあまり、本質から遠ざかって空回りをしているのだな、と」
そう答えると、冥は再び怪訝そうに御剣に問いかける。
「本質?」
「互いを大切に思っている、ということだ」
御剣がそう伝えると、冥は一瞬困ったような表情をして、それから不貞腐れたように顔を45度ほど斜めに逸らした。
「私は、面倒が嫌なだけよ」
面と向かっては親切にできない彼女の性分を知っているため、
御剣は軽い調子で「そういうことにしておこう」と小さく笑いかける。
意地を張って返事のない彼女を可愛いと思いながら、御剣はそのまま言葉を続けた。
「それで、――ひとつ、問いたいのだが」
するとメイが、「何よ」と言いたげに御剣の方に視線を向ける。
「かつて私達は、互いに貞節を守って交際していたな。」
「――そうね、貴様の申告が真実であれば」
冥の返事には、少し棘があるようだったが、御剣は敢えて言葉を続けた。
「つまり互いが互いのモノだったはずだ。
にもかかわらず君は恐らくずっと、私の心を手に入れられないと感じていた。そうだな?」
流れとしては唐突とも言える話題に、彼女は戸惑っているようだった。
だが湧きあがるものがあったのか、そこを指摘することはなく――
「……そういうことになるわね」
表情を浮かべぬまま、彼女はぽそりとそう言った。
改めて確認すると、それが思い違いではなかったこと、そして彼女がどれだけ苦しんできたかを思い知らされる。
だからこそ――
「だったら今宵、君は私を手に入れたまえ」
御剣がそう伝えると、冥は2秒ほど呆気にとられる表情をした。
だがすぐに、眉間に指の腹を当てて考え込む仕草をする。
「……何を言っているのかわからないのだけれど」
説明を求められたと解釈して、御剣は自分の考えを言葉にする。
「君が私に対して言っていたように、このまま満たされずに離れれば、君もこれから1年間私に囚われたまま生きねばならなくなる」
それはそれで御剣にとっては悪くない話かもしれないが、冥はきっと苦しむはずだ。
「錯覚や心残りを残した結果君が私を選べば、確かにそれは互いの不幸に繋がるだろう」
君が先程言っていた通り、と付け加えると、冥はしてやられたと言いたげに眉を顰めた。
「だから君は、この部屋を出る前に私を手に入れたと実感しておくべきだと思う」
冥は返事をせず、困ったように固まったままこれといった反応もない。
「君は積年の物思いからいくらか解き放たれ、そんな君を見て私は安堵できる。
これならば、この一夜が互いの利に繋がるはずだ」
彼女は相変わらず反応しない。
それはどうしてか――御剣は頭をフル回転させて考え、説得を試みるように重ねて言い募る。
「この部屋の外のことは全て忘れてもらえたらと思うのだが――……その、どうだろうか」
御剣より現実的な彼女は、もしかしたらそこを気にして何も言えないのかもしれないと思ったのである。
だが結局、反応はなかった。
ただ、反応はないが、彼女は何かを考えているようだった。
それに気付いた御剣は、しばらく静かに言葉を待つ。
体感にして3分くらいだろうか。
殆ど身動きもなかった冥の目蓋が、ぎゅっと閉じられる。
同時に、その口がゆっくりと開いた。
「――で、具体的にはどうするつもりなの」
再び開いた目は、訝しげに御剣の目を見据える。御剣は思わずたじろいた。
「具体的に、とは」
「まさか、明日の出発まで甲斐甲斐しく私の世話を焼くつもりだ、なんて言わないわよね」
特に具体的なプランはなく、抱きしめて愛の言葉を伝えるか、最大限彼女の我儘に沿うかと考えていた御剣は
「もちろん、それも含まれているが」
と素直の応じた。
すると、冥の目蓋と眉の距離が一層縮まる。
「じゃあ、私が眠るまで抱っこして子守唄でも歌ってくれる、とでも?」
「――いや、私は音痴だから、背中をさするくらいが関の山だが」
御剣が慌ててそう答えると、冥はいつもの、馬鹿者を見た時と同じ表情で溜息をついた。
「ひとつ確認したいのだけれど」
真っ直ぐな視線が、御剣にはっきりと問うた。
「貴様の言う私への気持ちって、そういう――子守唄でも歌うような類のものなの?」
御剣にとっては、そういう類――「家族同然」のものでもある。
しかし――
「私は男として、君のことを好いている」
“家族”よりももっと基盤にあり強い感情がこちらであるのは、間違いないだろう。
そして、彼女が求めている答えも。
思った通り冥の纏う雰囲気から少し刺々しさが減った。
それに、不機嫌そうな口の尖り方が、嬉しいのを出さないようにしている時のものである。
その表情のまま、冥は目を閉じて御剣に問いかける。
「だったら――ママゴトのような所作でその思いが伝わると思って?」
彼女が何を言いたいのか、流石に伝わってきた。
愛情を示すのであれば、彼女が当初持っていこうとした方向に戻れということだろう。
――つまり、男女として一夜を共にしろということだ。
「いや、だが、それ以上のことは、君に負担が」
再びうっかりとその場面を想像してしまい、しどろもどろになりながら、御剣は言葉通りの本心を伝えようとする。
だがやはり、彼女のお気に召さなかったようだ。
心底不機嫌になった彼女の左手が、御剣の首元に伸びてくる。
「そうやって腫れ物に触るように上から遠巻きに何かを与えようとするんじゃなくて」
ぐい、とクラバットが引っ張られた。
「全力で同じ目線で、ぶつかってきなさい」
御剣が状態を屈めたことで間近に来た冥の目は、一見怒りに満ちているように見えたが――
「負担かどうかなんて――私が決めることだわ」
それよりも悲しそうだったのは、御剣の思いすごしだろうか。
――いや恐らく次の言葉から察するに、間違いではないのだろう。
「私はずっと不満だった」
冥は有無を言わさぬ態度で、言葉を続ける。
「私を抱いた後の貴様の顔は、いつも罪悪感と後悔で満ちていた。
――それがきっと、私が不満を感じていた、一番の要因だわ」
青灰色の目が、静かにまっすぐ御剣をとらえ、全身に語りかけた。
「だから、今夜私のモノになるというなら――ちゃんと求めて。後ろめたそうにしないで。」
「――それがきっと、貴様が私のモノになるということだわ」
じっと見据える双眸はとても真剣で、とても綺麗だった。
御剣はしばらくそれに視線を奪われていたが、ほどなくして静かに我に返った。
「――そうだな」
彼女を傷つけたくない。負担もかけたくない。今でもそう思う自分がいる。
だが、彼女にここまで言わせたのだから、その思いに応えずにいられるだろうか。
御剣は葛藤を抱えつつも心を決め、深呼吸をした。
「では、正直に言う。――私は君が欲しい」
「――ありのままの、男としての私を、受け入れてくれるだろうか」
そう問いかけて、御剣は己の右手を差し出す。
それはほどなく彼女の左手に優しく掴まれ、大事そうに白い頬に添えられた。
その温かさに、御剣の全身を何か熱いものが駆け抜ける。
次の刹那には、御剣は彼女の名を呼び、その左腕が彼よりも華奢な身体を全力で抱きしめていた。
<つづく>