「――という次第だ。」
御剣から狩魔冥とのやりとりの流れを聞くと、隣にいた真宵がほっとしたように息をついた。
「良かったぁ」
帰国してすぐに簡単な報告は受けていたが、狩魔冥の様子などの細かい部分までは聞けてはいなかった。
その次の休日に改めて報告に訪れた御剣から直接話を聞くことができて、真宵もようやく安心できたのだろう。
「君達には、今回の件では随分と世話になった」
成歩堂が調査した狩魔冥についての報告書の紙束は、昨日までこの倉院の里にあった。
あの原本は、御剣が真実を知った時点である程度の役目を終えていたが、
狩魔冥との話し合いの流れによっては、“切り札”として存在している必要があった。
――御剣の話によると、実際に、白を切り通そうとする彼女の姿勢を切り崩す一端を担ったらしい。
しかし、アレを御剣や成歩堂の事務所に置いていては、万が一関係者の目に触れないとも限らない。
少なくとも御剣と狩魔冥の結論が出るまでは、外野で話が動くといろいろと面倒なことになるだろう。
そんなわけで真宵には、家元の許可がなければ人が立ち入れなさそうな、古い蔵の奥の方に、
実名がバッチリと残ったままの書類とを、こっそりと隠してもらっていたのだ。
「ご依頼通り、アレは全部“しゅれっだー”にかけて、昨日の焚火で全部燃やしちゃいました!」
元気いっぱいに、真宵が腕まくりをして宣言する。
「あ、ああ‥‥感謝、する」
成歩堂が横目で御剣を見ると、彼は自分の前に置かれた食べかけの焼き芋を複雑そうな表情で眺めていた。
(真宵ちゃん、さっき『このヤキイモ、昨日の焚火で焼いたのを温め直したんです!』ってはっきり言ってたな‥‥。)
自分達の秘密で作られたモノを食べるのって、人によってはいい気分がしないんだろうな、と成歩堂は思った。
「ああ、そう言えば」
まるでそこから話を逸らすかのように、デリケートそうな性分の御剣が、真宵に話を振る。
「時間があれは遊びに来てほしいと、メイが言っていた」
「わあ、ありがとうございます!是非行きたいです!ね、なるほどくん!」
「‥‥お前が旅費を出してくれるなら」
流石に2人分の旅費を捻出する甲斐性はないなあ、と思いながら、成歩堂は適当に返事をした。
それを聞いた御剣は、不自然なほど真顔で成歩堂に向き直る。
「それは勿論、今回の礼として構わないのだが――」
「――メイから君宛てに、伝言を預かっていてな」
嫌な、予感がした。
「“カンペキな計画を崩したオレイとしてゼヒ丁重にオモテナシしたいので、這ってでも必ず来るように”、とのことだ。」
「ぼくは、事実を素直に調査しただけだぞ」
げんなりした思いをそのまま吐露すると、御剣がシニカルな笑みを浮かべた。
「君でなければ“事実”を掴むのは不可能だったと、彼女は認めているのだ」
誇りたまえ、と言われたが、そんなに嬉しくないのが正直なところだ。
(御剣にぶつけられない怒りが、八つ当たりでぼくに向いたってだけだと思うしなあ‥‥)
成歩堂がとほほと溜息をつくと、真宵が場を執り成すように、慌てて明るく御剣に話しかける。
「あ、で――でも本当に良かったですね!冥さんとヨリが戻って!」
すると、御剣の顔から、すっと表情が消えた。
「いや――ヨリは戻っていない」
「「えっ?!」」
成歩堂と真宵は、思わず同時に声を上げた。
「さっきの話、お互い想い合ってるってことを確認したって話じゃなかったか?!
「また会いに行くって言ってましたよね?!」
2人で御剣ににじり寄ると、御剣は悟りきったような面持ちで目を閉じた。
「確かに、子供との仲介をするために関係は切らない、という確約は得た。」
「――どういうことだ?」
「つまり、そこ止まりだということだ」
思い出して不機嫌になったのだろう。
御剣の眉間に、深いヒビが刻まれた。
「好きな男とその子供を守るために、誰とも結ばれないと誓いを立てているそうだ」
真宵が、戸惑うように確認する。
「好きな男って、御剣検事のことですよね?」
頷いた御剣は、ほぼ間違いなく、と返して深く溜息を吐いた。
「『絶対に譲らない。私のことが好きだと言うならば、そこは尊重するべき』とのことだ」
(狩魔冥は、御剣と赤ちゃんが不幸になるところを見たくないんだろうな‥‥。)
自己犠牲的とも言えるし、究極の利己主義とも言える姿が脳裏に浮かんだが、ここまで頑固だと、逆に清々しい。
それが彼女の絶対に譲れない答えだったんだろう、と成歩堂は結論付けた。
「最優先は子供の幸せというのが《一致した認識》だからな。そこは譲るしかなかった。」
そう語る御剣は、忌々しそうにも見えたが、とても優しい表情をしているようでもあった。
この男も、その答えを受け入れたのだということを、成歩堂は理解した。
「‥‥そう言われてしまうと、難しいところ、ですね」
「‥‥ほんとに不器用だなあ、お前たち。」
2人からの言葉に、御剣は少し困ったように笑う。
それから、はっきりと断言した。
「それでも、多くの真実は――思いがけず露見する」
「――不吉なこと言うなあ」
「冥さんの努力、全否定だね。御剣検事」
成歩堂のツッコミに被せて、真宵が小さな声でそう呟いた。
「そのことも含めて彼女には言わなかったのだが――」
さすがに、御剣も自らの発言の残酷さを理解しているらしいということが、その言葉から伝わってくる。
「――彼らを守るため、《その時》に備えることが、私の役割であり愛情だと思っている」
そう語る御剣の表情は、いつかと比べると憑き物が落ちたかのようだった。
「大切な、お仕事ですね」
真宵がそう声をかけると、御剣は少し寂しそうに笑う。
成歩堂は、言葉の代わりに少し身体を乗り出して御剣の肩を叩く。
すると、友人の口から小さく礼の言葉が洩れた。
「――大変だな、お前も」
一旦身体を戻して、温くなった湯呑に口をつけてから、成歩堂は改めて御剣に語りかけた。
「ずっと好きだった子と、好きなまま離れ離れだなんて」
「まあな」
御剣も、呼応するように喉を潤すと、そのまま言葉を続けた。
「だが、私にとっては、それほど問題ではない。
――彼女は私の贈った指輪を身に着けて、誰とも結ばれないことを誓っているのだから」
それは何気ない口調ではあったが、どこかに力強さを孕んでいた。
念のため御剣の目を見てみると、やはりそこにも同じ強さがあった。
「――もしかして、お前も何か誓ったんじゃないのか」
成歩堂の確認に対して、御剣は、ああ、とあっさりと白状した。
「私も、彼女以外の誰とも結ばれることはないと、はっきり宣言してきた。」
そう言いながら、御剣は首元を緩める。
服の中から取り出した革紐の先には、銀色の環が繋がっていた。
「時機を見て、“女除けのお守り”として指に填めるつもりでいる。」
成歩堂は、面倒くさいものを見るような表情を隠せないまま、指輪をまじまじと見つめた。
「狩魔冥が、買ったのか」
「まさか。――彼女がそのような、証拠が残るようなマネをするわけがなかろう」
「‥‥そうだよな」
“カンペキな秘匿”を目指して、狩魔冥はわざわざ姿まで消したのだ。
「彼女がインターネットをたまたま見て、良いと言っていたものを、私が自分で勝手に買った」
御剣は口以外を不自然に平静そうな表情で固めたまま、これ見よがしに目を閉じて頷いた。
――男物の指輪なんか、女性である狩魔冥が“たまたま”見るわけないだろ?
成歩堂は、そう思ったが、敢えて言葉には出さなかった。
代わりに大きな溜息をついて、真宵に向ってこう告げた。
「――真宵ちゃん、こいつのことは放っておいても大丈夫だよ」
「どういうこと?なるほどくん」
直近のやりとりをただ困惑して眺めている様子だった真宵に、成歩堂は改めて説明する。
「つまりコイツと狩魔冥は、ヨリは戻さなかったけど契約はしたんだよ」
「契約?」
「想い合っていながらお互いに誰のモノにならないって契約をしたってことは
――それは逆転すると、“互いに互いのモノ”って約束したようなものだよ。」
成歩堂がそう解説している間、御剣は眉間を寄せつつも、嬉しそうに口を歪ませていた。
つまり、成歩堂の推理は当たっているのだ。
法にも、物理的な距離や接触にも頼らずに――それでも彼らは、互いを無二のパートナーと認め合ったのだ。
それを聞いて、真宵は自分のことのように、声をあげて喜ぶ。
成歩堂は、呆れと安堵が混ざった気持ちで、軽く友の二の腕を小突いた。
そうして少しだけ身体を揺らした男は、喜びを噛み締めるように泣き笑いの顔を見せる。
――その表情を見て、成歩堂はふと思った。
ここにいない彼女も、きっと同じ表情で、新しい“家族”と向き合っているのだろうな、と。
<おわり>