「Devotion」

 

最近、ちょっと肌寒くなってきただろうか。

無意識にコートの襟を前に引っ張りながら、通用口の扉を閉める。
それから地面に無造作に置いておいたゴミ袋を2つ、糸鋸刑事は軽々と持ち上げた。

御剣検事の書類整理を手伝ったところ、シュレッダーにかけた書類の残骸が大量に出来上がった。
上司が仕事に専念できるよう、刑事はゴミ捨ての役を買って出たのである。

通用口からゴミの集積場へはやや遠い。裏庭を通る間に、角を2つ曲がる必要がある。

一つ目の角を曲がると、右手の塀が少しだけ窪んでいる風景が見える。
この窪みの向こう側は、散歩中の歩行者向けらしきベンチ付きの休憩スペースとなっていた。

ただ、公共機関の敷地内全面禁煙がこの検事局でも徹底されるようになってからは
検事をはじめとした職員たちの喫煙スペースとして利用されることの方が多くなっている。

今も、塀の上から煙草の煙がちらほらと上がり、数人の男の笑い声が聞こえていた。

知った声がいくつかあるのを聞きとりつつ、刑事は黙ってその場を通り過ぎようとした。

――しかし、その中から聞き捨てならぬ単語を拾い取ったため、彼は歩みを止めることになる。

「本当に、御剣検事には困ったものですね」
若い検事の声だった。

「全くだ」
少し歳のいった声が吐き捨てるように言った。

「突然行方不明になって戻ってきたかと思いきやまた海外研修に出掛けて、
  帰ってきたかと思えば、今度は審査会に喧嘩を売って不正と闘うやら何やらと息巻いているとか」
いくつかの声が、嘲笑するような息を吐き出したのが聞こえる。

「不正と闘うために、法改正を求めるなんて話も出ていて・・・また面倒な」
「たった一人で動いた所で、どうなるわけでもないだろうに」
「一人で空回りしてくれるならまだいいが、協力を求められたら面倒だな」

(御剣検事は、味方のいない人のために、あんなに一生懸命でいるというのに・・・!)
一人ひとり、検事になった理由も志も違う。
だからいろんな意見があるのもわかってはいるが、それでも刑事にとっては嫌な言葉ばかりだった。

「まあ、御剣検事は昔から変わっていたからな」
「そうですね。もともと奇行の多い人ではあったと思います」

利益になる話でもない。立ち去ってしまえばいいのだが、言葉の数々に腹が立ってきて足が動かない。

「それに――よりによって“あの”狩魔の娘を今でも身内扱いしているんですから。
  相当頭がおかしいとしか思えませんよ」

――御剣検事の苦悩も何も知らない癖に、勝手なことを言わないで欲しいッス!

怒りの限度が越え、刑事はばっと顔を上げ、塀を乗り越えるべく身体を前に動かす。
しかし、足を動かすより前に、視覚が先程まで認識していなかったものをとらえた。

(か、狩魔検事!)

先程煙草の男達の話題に出てきた、“狩魔の娘”その人である。
彼女は鋭い視線で刑事を睨みつけると、一本指を口の前にかざした――黙れ、動くな、ということらしい。

その間にも、男たちは御剣検事のことを好きなように言い合っていた。
最近執務室に少年少女を連れ込んで保育園をしているとか、やはり物申したくなる話題ではあったが
刑事を見張るような恐ろしい視線が身体が覚えた鞭の痛さを想起させて、本能的に身体が動かない。

ほどなく男たちの休憩が終わり和気藹々とした声が遠ざかると、ようやく冷たい光から解放される。

検事の方を見ると、不敵な笑みを浮かべて自分の手元を眺めていた。
彼女も憤っていたのか、その笑顔は非常に荒々しい冬の海を想像させる。
――まるで数年前の荒れていた時の笑い方に似ている、と刑事は思った。

彼女の手元をよくよく見ていると、銀色の何かが握られている。

「――いいモノが録れたわ」
それを眺めながら、狩魔検事はとても悪い笑顔を浮かべた。

「録音機ですか」
「――そうよ。彼ら、ちょっと前は私のこともどうとかこうとか言っていたから」

志も実力もないオトコほど、ああやって群れて人のことを言うのよね、と毒を吐いてから、検事は録音機のボタンを一つ押す。
うっすら見えていた赤い光が彼女の手元から消えた。電源を切ったのだろう。

「何かあった時、何かに利用できないかと思って、こういう時には念のため録るようにしているの」
自分を開示しない彼女にしては珍しく、質問に対してたくさんの答えを返してくる。
やはり、多少は動揺しているのかもしれない――どんなに仕事ができても、本来はまだ年若い女性なのだから。

「とりあえず、邪魔をしなかったことを褒めてあげるわ。」

そう言って、彼女は手を刑事の進行方向に差し示した。
恐らく出で立ちから集積場に向かうことを察したのだろう。彼女の手はそちらへの角を指しているようだった。

ふと見ると、もう片方の腕に、彼女も何か抱えている。
元が何であるかはよくわからないが、ボロ切れのようだった。

「あ、検事もゴミ捨てッスか?」
「――え、まあ・・・」

鬼のような検事にしては、弱い返事のような気もしたが、それよりも普段の習性が刑事の身体を動かす。
「何だか重そうッス。ついでに自分が持っていくッス」

「いいわよ」
「まあまあ、そう言わずに」

近付いて、受け取るべく手を差し出しながら布を直視した瞬間に、刑事は不穏なことに気がついた。

「もしかして、それ、カーテンッスか・・・?」
御剣検事の部屋に使っているものと色は違うが、同じ材質だった。

もともと、御剣検事が狩魔検事――目の前の女性ではなく、その亡父――の真似をして同じ店から買ったのだ。

主のいなくなった父親の執務室を引き継いだ娘は、調度品の何割かは自分の好きなものに変えていたが
カーテンなどはそのまま使っていたような覚えがある。
そういう物覚えは良くない刑事だが、一応彼も狩魔冥の元部下である。たぶん間違いないだろう。

そして、物に当たる傾向が強い彼女とはいえ、カーテンを破いてストレスを発散するほど元気なタイプでもなかったはずだ。

「なんか、あったッスか?」
「――別に、何もないわ。」

「そんな風に、見えないッス!」
少し強めに食い下がると、狩魔検事はやや幼い表情を一瞬見せた後に、ばっと弾けた。

「うるさいわね!」

だが、叫ぶことに意識を集中し過ぎたらしい。
閉めていた腕と脇から、バサっと荷物が零れ落ちた。

「うわー、布だけじゃなかったんッスね」
言いながら素早く例の布を拾い上げた後、広がった紙や封筒の束に手を延ばす。しかし――

「駄目!」

先程よりも切迫した声が、刑事の耳をつんざいた。
声の主たる狩魔検事は、跪いた刑事を緊迫した表情で睨みつけている。

「か、勝手なことして申し訳ないッス!でも拾ったらちゃんと返すッスから!」
「――私が拾うから、手を出さないで」

勢いに負けて、刑事はそのままの姿勢で動きを止めた。
どうすれば良いものかとしばらく落ちた紙を見ているうちに、あることに気がつく。

どれもこれも、異常性の高いものばかり――

「これ、脅迫文じゃないッスか!」

目に止まるのは、雑誌の文字を切り貼りしたものや、黒や赤で殴り書きされた文字。
その多くは、殺人者の娘が法曹の世界に身を置くことを非難する内容で
時々、彼女自身の人格を否定するような文言が見受けられる。

「さわらないで!」
手を伸ばそうとした刑事を検事が再び声で制した。

だが今度は刑事も退かずに強く年若い女性を見返す。
すると、検事は少しばつが悪そうにたじろいてから、言葉を付加した。

「――燃やすつもりで持ってきたけれど、念のため指紋はつけないで」
万一風に飛ばされた時、貴様が脅迫犯だと思われても面倒だから、と小さな声で更なる補足がある。

「いや、これは提出して捜査すべきッス、狩魔検事!」
刑事は掴みかかりたいくらいの勢いでそう進言する。
しかし、当の彼女は呆れたようにふっと笑うだけだった。

刑事はもう一度進言しようと思ったが、それより前に狩魔検事の方が恐ろしいことを言い出した。

「いいのよ。もっとひどいのが手元にたくさんあるから」

相当口汚い文言だったりするものもあったが、アレ以上のものもあるというのか。
数秒、刑事は何も言えなくなったが、すぐに訊くべきことを声に出せるまでに回復した。

「――嫌がらせ、まだ続いてるッスか」

狩魔検事の執務室は、元々は先述の通り彼女の父親が使っていた。
父親が検事局を去り、彼女がアメリカからこちらへ移ってきた時、その執務室して彼女自身がそこを選んだ。

狩魔検事がアメリカに戻った後、ここは空き部屋になったが、以前の持ち主が殺人者だったり狙撃されたりということが続いているので
さすがに縁起が悪い、と別の利用方法が検討されることになった。

しかし、何だかんだとうやむやになっているうちに、彼女が客人として頻繁に出入りするようになり、仮のオフィスが必要な状態になった。
そのため、彼女は元の部屋に宛がわれることになった、というのが刑事の知る経緯である。

もともと、彼女がアメリカから日本に移ってきた時点で、ちょっとした嫌がらせはよくあった。
局員の陰口、彼女が日本で働くことへの抗議文、相対した弁護士からの嫌味、など。

念のための護衛という意味もあって糸鋸刑事は彼女の下についたが、
荒れていた彼女は憂さ晴らしのように全部自分で迎え撃っていたのでその辺ではあまり役に立てなかった。

ただ、あの頃はここまで苛烈なものではなかったはずだ――少なくとも、部屋に入って備品を壊すほどでは。

「留守が多いから、手紙だけじゃなくて執務室の中に入り込む不逞な輩も出てきたみたいね」
狩魔検事はしばらく手紙を拾っていたが、少ししてからぽつりとそんな風に言葉を漏らした。

「私は一応、アメリカと国際警察からの客人なのだけれど、侵入者はその辺は理解できているのかしら」
その言葉から、部屋を荒らしているのは内部犯と検事が考えていることが窺える。

それで局員の陰口を録音していたのか、と刑事の中で少し腑に落ちるものがあった。

しかし、狩魔検事一人で抱えるには重すぎる話のような気がする。
かといって一介の刑事である自分では力不足である。

ここはやはり、彼女を妹のように可愛がっているあの人の力を借りると良いだろう――刑事はそう思った。

「――御剣検事と相談して、対応を」
「それには及ばないわ」

早速進言してみたのだが、言葉の途中であっさりと遮られる。
「証拠は全て代理人に預けているし、行動を起こすのは時機を見てからと決めているの」

タイミングが良ければ、上層部を動かす為の良いカードになりそうだし、と検事は悪い笑顔を浮かべた。
ただ、その表情はやはり数年前の荒れていた彼女の“戦術”を彷彿とさせるもので、嫌な予感がする。

「それでも、御剣検事に話しておく方がいいッス!何かあった時に、きっと――」

御剣検事はきっと狩魔検事を助けてくれる。
だが、狩魔検事は頑なに首を横に振るだけだった。

「たぶん、御剣怜侍はこの件に関してはうまく対処できないわ」

そんなことはない、どういうわけだ――そんな心の声が、顔に出ていたのかもしれない。

「よく思い出してみなさい。あの男が検事になってからの所業の数々を」
「――所業、ッスか?」

何が言いたいのかがやはり呑み込めず、刑事がきょとんとしていると、狩魔検事はまた呆れたように溜め息を吐いた。
「御剣怜侍は、他人のことはよく見通せるけれど、自分のことは全く見通せない男よ。」

確かにそうかもしれないな、と刑事が思っていると、検事は空を見つめながら、何処か忌々しげに言葉を続けた。
「その上、正義感が強い――そんな男がコレを知ったら、どんなことになるか、想像してみなさい」

真相を追求するために、検事に有利だった判決を覆す行動をとったこと。
信じてきたものが壊れていく現実に耐えられず、検事局を一度は去ったこと。

上からの通達を無視するような形で、自分の理念や正義のために弁護士の助手として捜査を行ったこと。
理不尽な嫌がらせの中、友人の潔白を信じて再び検事をやめようとしたこと。

結論として全て正しい方向に終結したが、組織の調和を考えると最善の方法とは言えないエピソードばかり。
そんなことが刑事の頭の中を駆け巡った。

「・・・あまり良い想像はできないッス」

しかも、今回は狩魔検事――御剣検事にとって付き合いの長い、妹のような女性だ。
彼女の狙撃の後、我を忘れて主治医らしき人物に詰め寄ったという逸話を、御剣検事の友人から聞いている。

糸鋸刑事自身、御剣検事の「失踪」時には、彼女を助けてやってほしいと陰で頼まれていた経緯もある。
そんな彼女が、彼女自身の行いとしては全く謂れもないことについて(御剣検事にとっては親の罪は子には関係のないものらしい)
未だに嫌がらせを受けていると知ったら――

少なくとも、先程の煙草の面々とははっきりとした溝を生むことになるだろう。

「でしょう?」
同じことを考えているのかどうかは定かではないくらい他人事のように、しかししみじみと、狩魔検事は頷いた。

「あの男は、自分がこれからしようとしているシゴトが大勢の人間の協力を必要とすることを理解できていないのよ」

御剣検事が闘おうとしているのは、“法の穴”――平たく言えば弱者が法律に潰されないようにすることだ。
検事としてそれを行うのだとしたら、それは法廷でひたすら真実を明らかにするだけでは恐らく事足らない。

きっとそのためには、検事局の内外――法曹関係者も含めた各所に働きかけていかねばならないだろう。
その際には多くの人間の思惑が絡み合うことになるはずだから、彼の理想に近付けるためには、彼は発言力を持っていなければならない。

そのために彼は権力を取りに行かねばならない。そして同時に、敵を作ることは仕方ないが、多く作ってはまずいことになる――

――狩魔検事は、そんなことを淡々と刑事に説明して、それからこう結んだ。
「だから、これしきのことであの男が躓いている場合ではないのよ」

「・・・御剣検事は、これから大変なんッスねえ」
難しい話に刑事が感心していると、容赦ない鞭が飛んできた。

「貴様の上司の話でしょう!?」
狩魔検事は、明らかに怒った口調で言葉を続けた。
「あなたはあの男を傍で支える役割なのだから、ちゃんと考えてそれに合った行動をしないと!」

「そ、そうッスよね!」
「・・・部下の評価も、それを預かる上司の評価のうちよ」
狩魔検事は呆れたように溜め息を吐くと、刑事の方に一歩近付いてくる。

「しっかりしなさい、ヒゲ」
未だ機嫌は良くない様子で刑事のネクタイを掴むと、軽くそれを引っ張った。

「貴様は昔から、主に人間関係の調整で彼を助けてきたでしょう」
「そ、そうなんッスかね」

刑事がそう尋ねると、検事は「そうなのよ」と断言した。
彼女が上司であった時にはひたすら無能呼ばわりで無碍にされていただけに、意外な発言である。

そのことに少し驚いてぽかんとしていると、我に返れと言わんばかりに再びネクタイが引っ張られた。

「上司の足りないところを補うことが部下の努めだわ。上司の知らない陰で動くことも含めてね」
そう言う狩魔検事の表情はとても冷たく、その視線が刑事を真っ直ぐに刺している。

「・・・自分は、見なかったことにしなきゃいけないってことッスか」
自身のポリシーに合わないことを暗に主張され、刑事もできる限りの力で年若い元上司をにらみ返す。

「直情でしかもコントロールのできない、正義の味方気取りのバカを上司に持った以上、ね。」
蛙に睨まれた蛇のような涼しさで、狩魔刑事は淡々と、皮肉のこもった返事を返してきた。

「あの男のフトコロガタナであろうとするなら、あの男が切り捨てられないモノを事前に切り捨てる強さも必要だわ」
そう言って、狩魔検事は小さく溜息を吐き、何か思うように目を閉じた。

その表情に何か感じるものがあり、刑事もほんの少しだけ息を吐いた。

「――御剣検事、優しいッスからね」
「あれは、甘いというのよ」

もしくはバカとも言うわね、と言って、狩魔検事は少し表情を和らげた。

――やっぱり。

「狩魔検事も、御剣検事のことを大事に思ってるッスね」

だからこそ心配をかけたくないし、足を引っ張るような事態に繋げたくもないのだろう。
それで妙に頑なになっているのだと、何となく理解できた。

ただし、刑事の口から零れ落ちた言葉は、速攻で鞭となって彼のもとに返ってきた。

「い、痛いッス!」
「貴様がヘンなことを言うからよ!」

どうにか開けた片目を通して見えたのは、真っ赤になった検事がムキになって叫ぶところだった。

「とにかく!」
顔を押さえながらその場に立つ刑事に、狩魔検事が人差し指を突き刺した。

「私は自分の力でどうにかできるから、あの男の救うべき弱者ではない。だから気遣いは無用よ」
刑事がそれに対して何か応じる前に、検事は言葉をいくつも紡ぎ出していく。

「貴様の言動や伝える情報であの男のこれからが左右されることを、肝に銘じて動くことね」
狩魔検事は、それだけ言うと拾い終えたゴミを抱えて、颯爽と焼却炉の方に歩いて行った。
  
  
追いかけたらまた鞭を喰らうのだろうなと思い、刑事はとりあえずそこに立ち止まる。

狩魔刑事の言いたいことは理解できた。そして納得もできた。
自分がここ10分の間に見聞きしたことを御剣検事に伝えることは、避けた方がいいかもしれないと思う。

しかし、かといって見ないことにしてやり過ごしてしまったら――
万一御剣検事が事実を知った時、給与査定での処分では済まされない何かが刑事の身に起こるだろう。
それに、刑事自身のポリシーや正義感を曲げることにもなる。

(それは、やっぱり嫌ッス)

そんな風に思いながら、糸鋸刑事は誰もいなくなった進行方向の角をぼんやりと見ていた。
 
 
***
 
 
「最近、君は掃除が好きなのだそうだな」

ふと、思い出したように、上司が刑事に声をかけた。
上司の仕事を手伝って書類の整理をしていた刑事は、それに応じて顔を上げる。

「君が楽しそうに廊下や検事室を掃除していると、検事局長から聞いた」
そう語る御剣検事の目は、少し好奇心のようなものを湛えていた。
「そういえば、郵便物の仕分けも率先して手伝ってくれているとも言っていたな」

君が刑事なのか事務方なのかわからないと噂になっているそうだ、と続けて検事は笑った。
刑事も、何となく照れ臭くなって笑い返す。

掃除も郵便物の仕分けも、そんなに頻度は多くないし時間をかけているわけでもない。
――御剣検事の部屋だけは休日などに時間をかけて行っているが、それ以外は一人10分やそこいらのこと。

「ある人に、部下の行動が上司のこれからを左右すると教えてもらったんで」
それでいろんなところに顔を売っている、と説明すると、検事は人の悪そうな笑みを浮かべた。

「そういう小賢しいことを言うのは、きっとメイだな。」
そう言って楽しそうな笑みを浮かべてから、検事は独り言のように刑事への礼の言葉を述べる。

「――刑事にも、感謝せねばならないな」

その様子を見て、御剣検事はだいぶ正直になったなと刑事は思った。
自分への謝意も随分と自然に言ってくれるようになったし、狩魔検事に対しての親愛の情もそうだ。

前は、気を引こうと躍起になってぶつかっていく狩魔検事に対して、
御剣検事は満更ではなさそうながらも、少し距離を取りながら遠巻きに大事にしているようだった。

しかし今は、こんなにも和らいだ表情で何の躊躇いもなく、彼女の名前を口に出せている。
それは、大きな変化だった。

ただ、今度は逆に狩魔検事の方が遠巻きに御剣検事を大事にしようとしている状態なのかもしれない、と刑事はふと思った。
彼女の身に起こったことを考えれば、頷けることだったが――

(ちょっと、寂しいッスね)
ようやく素直に親愛の情を示せるようになった御剣検事のことを考えると、尚更そう思うのだった。

(だからこそ、自分はできることをするッス)

各上級検事の執務室の掃除も郵便物の仕分けも、うまくやれば人脈を広げることができる。
仲良く話すことでいろんな情報が入ってくるし、部屋の雰囲気や郵便物からわかることもあるだろう。

そして、そうやって関わっていく中の一つに狩魔検事の部屋や郵便物が紛れていても、誰も疑問には思わないはず――
それが、刑事が絞り出した苦肉の折衷策だった。

狩魔検事は、御剣検事に心配をかけたくないし、巻き込みたくないから関わって欲しくない。
しかし、御剣検事が妹分たる彼女を放っておける人とも思えない。

(上司にできないことを補うのが、部下の役目ッスからね)

だったら、ある程度の事情を知っていて身動きの取りやすい自分が、事実を把握しておくと良い。
仲間思いなところも御剣検事の美点の一つなのだから、彼の代わりに、その美点を守るように動くことも忠義の範疇だろう。

(まあ、下手をするとどっちからも怒られそうッスけどね)

それでも、誰かが注意して見守れば、危機は起こりにくくなると聞いたことがあるし
一見ただ事務方の仕事の手伝いを楽しんでいるように見えたとしても、巨漢の刑事が気まぐれに狩魔検事の部屋に出入りしているという事実は
何らかの悪さををしようとする人間への、ちょっとした抑止にはなるはずだ。

――まあ、何も起こらなければ万々歳ってことで。

御剣検事に頼まれた仕事をこなしつつ、刑事はそんな風に頭の中で考えていた。
 
 
<おわり>