「膝枕」

 

昔の夢を、見たような気がする。
何にも囚われることなくただ仲睦ましかった頃の、あの男の笑い声を夢で聞いた。

 
ふと気がつくと、私は知らない風景の中にいた。
ライトブルーや碧色を好む私とは対照的な、ワインレッドで統一されたオフィス。
ぼんやりと眺めているうちに、ここが訪問先のオフィスであることをゆっくりと思い出す。

意識的に大きく目を開けると、壁時計に目をやって時間を確認する。
最後に時間を確認してから、30分も経っていなかった。

仮眠としてはちょうどいい時間だったので、私は身体を起こそうとする。
……けれど、身体の右上の方から感じる重みと温もりがそれを阻んだ。
その方向から、私に身体を預けて眠る男の寝息が聞こえる。

そういえば、仮眠をとる際に寝不足の男を一緒に寝かしつけていたのだった。

少なくとも最近、ちゃんと眠っていなかったようだから、
この男は、もう少し眠らせておく必要がある。
普段は憎たらしいことこの上ない男だけれど、姉として弟を守るのは当然のこと。
私はできるだけ、身体を動かさないように注意を払うことにした。

この男に身体を預けられることは、そんなに嫌いじゃない。
他人に心を許すことが難しいこの男が、これだけ無防備に寄りかかっているという事実は
懐かない猫を懐かせた誇らしさのような思いを、私に感じさせる。

いつもこんな調子だったら、私も可愛げのないところばかり見せずに済むのだけれど。
面と向かってそう言えば、この男はきっと「また人のせいにする」と溜息をつくのだろう。

こうして静かに甘えてくるレイジのことを、いつになくいとおしくと感じて
眠っているその頭を、私はあやすようにポンポンと叩いた。

「……メ……イ」
微かに身体が揺らされたためか、レイジが小さく私を呼ぶ。
寝言なのか寝ぼけているのかはわからないけれど、覚醒している様子ではなかった。

「なあに、レイジ?」
いつになく素直に、私は手のかかる弟の呼び掛けに応じる。

すると……レイジの手が伸びてきてその腕が私にしがみついた。

一気に、私の体温が上昇する。

後ろからも手を回され、私はレイジから抱きつかれているような格好となった。
伸びた手についていくように、レイジの頭が私の肩から外れる。
正面に回ったレイジの髪が、私の頬をくすぐった。

「……っ、レ……・」
たとえそれが「弟のような」相手だったとしても
血縁ではない男から抱きつかれて、さすがに私も冷静ではいられない。
声を上げてレイジを起こそうとしたけれど、それより先に、レイジがまた私を呼ぶ。

「メイ……」
その声は、あまりにも無邪気だった。

私の強張った心身から、急速に力が抜けていく。
気が抜けてしまうほどに、今のレイジからは甘えるコドモの空気以外のものを感じることがなかった。
思わず笑ってしまって、私はまたポンポンとレイジの頭を撫で叩く。
すると、レイジがゆっくりと身じろぎをした。

「そばに、いて……」
レイジの腕に力が入り、私を抱きしめる。
私の肩に掛けていたストールから、生地が握られたような引きつりを感じた。

どんな夢を見ているのかはわからないけれど、
その声も仕草も、まるで甘えるコドモのようだった。

「ええ、そばにいるわ」
大きくてナマイキだけど可愛くて仕方のない、私の弟――
どことなく温かいものに満たされ、私は右腕を回して、その手でレイジの背中を抱きしめる。

「ずっと、一緒に……」
レイジがまた、寝言を呟く。
それは、 遠い場所で暮らす私には叶えることのできないことだった。
ただ、独りでいると過去の呪縛に引きずられていく彼にとっては切実な願いだということも、充分に理解できる。

だったらせめて、穏やかな夢の中にいる今だけでも……。
そう思い、私はレイジを抱く腕にもう少しだけ力を込めた。

「そうね……ずっと、ずっと一緒にいてあげる」

その言葉が届いたのか、レイジの両腕からゆっくり力が抜けていく。
ずるずると落ちていくレイジの頭や肩を、手と太腿で受け止めた。

膝枕の体勢になるようにレイジを支えながら、私の口からはくすくすと笑みが漏れ出す。
一緒に落ちていったストールを肩にかけてやると、彼はそれに包まるように身じろぎした。

「まったく……弟っていうのは、いくつになっても手がかかるものなのね、レイジ?」
開いた額を指で軽く弾くと、レイジは何故か嬉しそうに微笑んだ。
 
 

<おわり>