「貴様って、一見手練れの女タラシに見えるけれど、実はただの天然なのよね」
私と真反対の方向を向きながら、彼女はしみじみとそう言った。
「……そうだろうか?」
「けれどそう見せかけておいて本性は、意外と欲望に素直で手が早いのよね」
「……そうだろうか」
彼女が何を言いたいかをうすうす感じつつ私が平坦な口調でそう返すと、明らかに苛ついた雰囲気が至近距離から流れてくる。
ほぼ同時に私の腕全体に、ぐんと外向きの大きな力が働いた。
ささやかな抵抗とは言い難いが、全力でかかればどうにかなりそうだった。
微動だにしない状況に腹を立てたのか、メイはますます苛々した声で爆発した。
「そういうフラチなところ、昔っから大嫌いだったのよ!」
腕の中に閉じ込めた彼女から全力でそう告げられ、私はふむ、と息を鳴らしてからこう応える。
「――それは、長い間申し訳ないことをしたようだな」
虚勢を張った私が、形式上だけ謝罪に見せかけた軽口を叩く。すると、メイは大きくため息をついた。
馬鹿につける薬がない、と彼女は呟いてあからさまに脱力して見せた。
どうやらしばらく抵抗するための気力を失ったようだ。
大嫌いと言われたことで落ち込んでいないわけではないが、とりあえずは享受できるものに食らいつこう。
そう考えて、私はここぞとばかりに腕の中に閉じ込めたものを五感のいくつかで堪能し始めた。
温かくて柔らかい。どこか甘くて懐かしい匂いがする。
銀の髪の右方から覗いた白い耳が何となく目に留まり、私は望んだ通りにそこに唇を落とした。
ひゃ、と可愛い声がして、小さな身体が大きく震える。
「ちょっと……――御剣、怜侍!」
切羽詰まったその反応にある種の情動を覚えながらも、私はできるだけ淡々と耳元でこう告げた。
「安心したまえ。少なくともここでこれ以上の狼藉を働くことはない」
さすがに、仕事のための場所であるこの執務室で最もプライベートな部分を剥き出しにするほど、私も愚かにはなれそうにない。
不埒なことができても、精々このくらいが限界だ。
メイはそれに言葉で応じることなく、やや束縛された腕を窮屈そうに動かして私の顔を後ろに引き剥がそうとする。
その意に沿うべく私が首を後ろに戻すと、少し安堵したように彼女の身体から適度に力が抜けた。
再び呆れたようなため息をついたあと、メイは同じ口調で私に言葉を投げかける。
「それよりそもそも、私達ってこういうコトの許される間柄だったかしらね?」
「こういうコト、とは?」
私が白々しく尋ねると、彼女はまた軽い怒りを弾けさせるかのように声をあげた。
「恍けないで!部屋に入るなり鍵を閉めて抱きついておいて――!」
何を考えているのだと言いたげな彼女の気持ちはよく分かる。
距離を置くと約束していた以上、一方的にこうすることは好ましくないのだろう。
それは理解はできていた。それでも――
「私はしたくて、こうしているだけだ」
半ば開き直ってそう答えると、彼女は数呼吸遅れて小さく言い切った。
「フケツだわ」
「――必死なだけだ」
そう、私は必死だった。
再会してからの約二日間にうっすらと漂い始めた不穏な雰囲気が、私を非常に焦らせている。
***
数刻前、夕方からの数時間のことに言及しよう。
判決が出た後、いつの間にか裁判所から姿を消した春美くん――
成歩堂と真宵くんに迎えられて、合流先の洋食屋に現れた彼女は、思ったよりも元気だった。
だがそれは、あくまで「思ったよりも」のことで、やはり表情が硬かった。
それでも精一杯明るくいつも通りに振る舞おうとしていたが――ちょっとしたところに綻びが生じる。
楽しい話題に自然な笑顔を浮かべるたび、少しも経たないうちにふと笑って良いのかと自問するような表情になる。
一瞬だけ顔が強張って、それから無理やり笑おうと顔を微笑ませる。
そんな不自然な百面相を、幼い子が繰り返していることが尚更いたたまれなかった。
そんな春美くんに、真宵くんはにこにこと笑って話しかけ、成歩堂はそんな真宵くんを穏やかな表情で見守っていた。
そうして、周りの大人たちは何も気がつかない振りをして春美くんにいつも通り接していた。
もちろん、私もできる限りそうしたつもりだ。
――とはいえ、矢張あたりは自然体だったのかもしれない。だとしたら、それが救いになっていたとも言えるのだが。
メイは、努めて春美くんから距離を取ろうとしているようだった。
前日のことが気まずいからか、その上で春美くんに気を遣っているのかは私の知るところではないのだが。
彼女は平然とした顔で食事をしたり、単独で交流に来た真宵くんと照れくさそうに会話をしたり、矢張や刑事に鞭を浴びせたりしていた。
ただ、時々当人達からは見えないよう配慮をしながらも、複雑そうな面持ちで春美くんや真宵くんを眺めているところを、私は数度目撃している。
――私が「わかるような気がする」と言ってしまった以上、彼女はあの従姉妹の様子を私達の境遇に置き替えざるを得ない。
深い葛藤はできるだけ表に出さないであろう性分の彼女の本心は、その視線の先の春美くんと同じなのかもしれない。
姿を消してしまおうとしたほどの罪悪感を抱える中、その相手から与えられる親愛の情。
無理にでもそれに応えようとする姿は、愛情というものが時に鉛よりも恐ろしい錘となることを示唆していた。
とは言え真宵くんたちは、きっと大丈夫だろう。
少し客観的に状況を掴むことができる人間がいる。成歩堂が彼女達を支えるはずだ。
さて一方で――似たような関係性にある私とメイの間には、成歩堂にあたる立場の人間がいない。
それがどういう影響をもたらすだろうかということを、私はどこかで不安に思っていた。
私の例の発言をし、成歩堂達が春美くんを迎えに行った後、メイは腑に落ちない表情でこう呟いた。
――理由はわかったけれど、それで綾里真宵自身は救われるものなのかしら、と。
その視線はやたらと神妙な色をたたえ、まっすぐに私を貫いた。
彼女の言葉が真宵くんのことだけを考えているわけではないことが伝わるにはそれで充分だった。
ほどなく矢張や糸鋸刑事が声の聞こえる範囲まで近付いてきたので、私はその場で明確な答えを返すことができなかった。
この話題は、他の人間と共有するにはデリケート過ぎる。
洋食屋に着いてからも、お互い誰かしらと話をしていて、彼女と一対一で会話をする機会はなかった。
解散後、預かっている荷物を返すからとメイとの同行を取り付けることができたのは良かったが、
2人並んでここに向かっている間は、疲れの取り切れていない彼女がこくりと船をこぐばかりだった。
――乗り込んだタクシーには当然だが運転手も乗っているので、彼女が起きていても恐らく他愛もない話になっていたとは思うのだが。
とにかくこの数時間、私は彼女と核心に触れるような話をする機会がなかった。
それだけに、時折物憂げになる彼女の様子を目にする度に、こんな思いが膨らんでいったのである。
私が彼女の前で笑って過ごすのを、彼女は“泣いてはいけないと思った結果”――つまり無理の産物と捉えるのではないだろうか。
そして私が愛情を示し大事にすればするほど、彼女はそれを重荷に感じて追いつめられて行くのではないだろうか――?
私の中でそんな懸念がひっそりと渦巻く中、私は彼女を自分の執務室へと連れてきた。
――彼女がアメリカから持ち込んだ荷物は私が預かっていたので、今朝までに全てここに運んでおいたのである。
もし私の危惧が的を射ているのであれば、彼女は私から離れていく選択する可能性が高くなる。
昨日、檻の前で、これに関連する重いやりとりもあった。可能性は、もともとゼロ寄りではなかった。
――もし、メイが私の世界からいなくなってしまったら。
言葉少なに私の前を歩く彼女の背中を見ながらそんな想像をした私は、極寒で丸裸にされたような寒気を感じた。
それで、部屋に入った途端、手早く鍵を閉め、灯りをつけようとしていたメイを後ろから抱きしめたのである。
――まるで、浮かんできた未来の光景に対しての軌道修正を試みるかのように。
こういう経緯があって、暗い執務室の中、私はメイを抱きすくめたまま、ややしらじらしいやりとりを続けているのだった。
彼女がこのまま絆されて、なあなあのままでいてくれないだろうか、などと不誠実なことすら考えている。
けれど、良くも悪くも直情な彼女は、そういう目論みを許してはくれなかった。
「――曖昧な状態はスッキリしないのよね」
彼女は私に対し、ほどなくそう話しかけてきた。
必死だという言葉の意味をメイは的確に理解したらしい。
「せっかくだし例の約束に結論を出してしまいましょうか」
去年の春先に約束していた内容を反芻する――春になったら、お互いの関係をはっきりさせよう、と。
だが、先程思った通り、このままでは恐らく――とにかく今は、タイミングが悪い。
「いや、まだ約束の1年が経っていないのだから……」
また来月に改めて、と続けようとした私の声は、あっさりと彼女のそれに遮られた。
「日本では2月を過ぎたら春だって、昨日貴様が言っていたじゃない」
次の春が来たら会って話し合うと約束していたのは確かだった。
残念ながら、それに対する反論の言葉が思いつかない。
「それに私、もう少ししたらしばらく忙しくなるの。何カ月かは会う機会がないかもしれないわ」
聞くまでもなく仕事だろうなと思う口調でメイはそう続け、きっぱりとした調子で更に言葉を継いだ。
「だから今、ケリをつけてしまいましょう?」
その語調には、一切の迷いがない。
――彼女の中で、覆しようのない答えが出た。
それを確信せざるを得ない空気がこの部屋に充満している。
向き合わなければならない時が来たのだ。
目的地を見つけた人間を、閉じ込めておくわけにはいかない。
私は腹を括って、逃がすまいとメイに絡めていた両腕の力を、ゆっくりと手放した。
メイはゆっくりと前に歩いて行き、私から十歩ほど離れたところで立ち止まる。
振り向いて私と対峙した彼女を、外からの灯りが逆光で照らしていた。
「ここ数日いろいろなものを見聞きして、つくづく思ったわ。」
彼女はひどく落ち着いた声で、しかしはっきりと私に語りかける。
「私があなたと甘ったるい雰囲気を醸し出せるような関係となることは、許されないことなのかもしれない、とね」
しみじみとした口調が、私にそれを結論だと感じさせた。
彼女の暮らす文化では話のはじめに結論が来る。
その知識も、そう思った理由の一つとなった。
「――そうか」
予想通りに別離を宣告されたのだと、私が明らかに落胆した声を出す。
すると彼女が、ああ、と何かに思い至るような声を漏らした。
「これは全体の結論ではないわ。」
今は先に感じたことを話しておきたかったから、と彼女は小さく言い添えた。
敢えてそう言ったということは、結論が逆に至る可能性が高くなった。
そう感じて、私は少しほっと息を吐いた。
「一方で、関係を断つのも違うと思ったわ」
私の安堵に力添えするかのような言葉を、彼女は淡々と紡ぎ出す。
「関係を断ってしまえば、貴様は柵から解放される――無理に綺麗事を言って、立ち直ったフリをする必要もない。」
だが、彼女はやはり私のことを誤解しているように感じられた。
私は確かに、彼女が心から笑えるようになるために、彼女の前で苦悩はしないようにと心掛けてはいる。
しかしそんなに無理矢理なことではなく、自然体で過ごせているように思う。
真相を知り、全てから離れて気持ちの整理を付けた時点で、私はすでに立ち直っているのである。
彼女を愛しいと思えたことがその傍証であり、その事実が私を憎しみから解放したといっても過言ではないというのに。
「私は無理など――」
「あれだけ青い顔をしておいて、その主張が通るとでも?」
ちゃんと理解してほしいと思っての反論は、彼女の強い言葉に遮られた。
昨日の私の失態が彼女にどれだけ負担を与えたかを思い知っているだけに、私はぐっと言葉を詰まらせた。
そんな私を、彼女はやけに落ち着いた様子で眺めている。表情はわからない。
「――そうだな。離れれば、君を苦しめるような醜態を見せずに済むのは確かなようだ」
私が自嘲を込めてそう呟くと、彼女は口癖のような言葉を吐き出す。
「そんなコトは、どうでもよろしい。」
その表情は、暗がりでよくわからなかった。
「どうでもよくないだろう。私と君の思いや感情は、この問題にとって非常に大事なことだ」
「そんなモノに重きをおいて語れるレベルの話ではないわ――少なくとも、私にとっては」
メイは基本的に、理屈よりも自分が感じた情や感覚によって、多くを判断する。
プライベートならば、尚更その傾向が強い。
そんな彼女が、感情に重きを置いて語れないと話している。
そこに彼女の物思いの深さを感じて、私はそれ以上言い返すことをやめることにした。
「――そうか」
自発的には深いところを語らないはずの彼女が、敢えてそこを語ろうとしているのだ。
できるだけ、彼女が話しやすいように耳を傾けるべきだと思った。
私が続きを促すようにメイの目を見ると、彼女はそれを察したようだった。
「関係を断つという選択も違うと思った、という話だったわね」
私が首で相槌を打つと、彼女はそのまま言葉を続けた。
「縁を切ってしまえば、私は貴様がどんな風に生きているのかを知ることが難しくなる。」
「離れても、私に興味を持ち続けてくれるのだな」
私が前向きな解釈を伝えると、彼女の周りの空気が目の前の馬鹿者を憐むかのように揺らめいた。
「――今回みたいなことがあった時に、手を貸すことができないのは困るのよ」
先程のざわついた空気が単なる照れ隠しのようなものだったと感じて、私は少し気分を和らげたものの、
「責任逃れもいいところだわ」
やはり私と彼女の認識がずれているのかもしれないことに、思いを馳せざるを得なくなる。
「責任逃れ……とは、ひどい言いようだな」
彼女が責任を感じることはないと、何度も何度も伝えてあるはずなのに。
それでもそれを気にするのは、私を理解してくれていないということを意味すると思う。
「そうかしらね」
少し腹を立てている私の感情を察してか、彼女はかわすように相槌を打ち、それからこう言った。
「貴様ができるだけ苦痛なくこれからの人生を送るようにすることが、私には重要なのよ」
それは責任なのか、愛情からなのか。
後者であれば良いと思うのだが、恐らく現実はどれだけ良く見積もっても半々というところなのだろう。
「そういうわけだから、私としてはどちらにしてもメリットやデメリットが半々、という結論に至ったわ。」
彼女がさらりとした口調でそう言ったので、私の脳がそれを結論として受け入れるのに、些か時間がかかった。
「結論――になっていないではないか!」
私がそう突っ込みを入れると、彼女は悪びれない様子でこう返す。
「私がいた方が良いならいるし、そうでないなら去る。それだけのことよ」
つまり彼女の結論は、私に結論を委ねるということらしい。
根底では依存心が強い性分をしているとはいえ、少なくとも表面上は何事も自分の意思で決めないと許せないはずの彼女が
表立って何の抵抗も見せずに私に決定権を預けたことが、私には不自然なことに思えて仕方がなかった。
「――それでは、君の意思や幸福は?」
「意思ならさっきから話しているしょう。半々だから決められない、と。
二人で決める問題なのだから、片方が決められないならばもう片方の意向が尊重されるのは当然でしょう?」
目の前にいる彼女がいつになく大人な態度だったので、私はますます納得できなくなった。
そこまで考えて、私はふとこう思った。
――そうだ。彼女が先程から大人過ぎるのだ。
自分がこうしたいから絶対にこうする、と駄々をこねることが常だった彼女と今の彼女を比べながら、私は彼女にこう問いかけた。
「君は先程から、こうするべきではない、などと――まるで第三者のような目線で判断を下そうとしているではないか」
君らしくない、と私が付け加えると、彼女は少しむっとした表情をしたものの、何も言い返そうとはしなかった。
「私は君の気持ちが知りたい。私のためだとか、世間から見てどうかとかではなく、本心を教えてほしいのだ」
彼女が昔のように振る舞えなくなった理由は、わかっているつもりだ。
今日の春美くんと同じことが、メイにも起こっているのだろう。
それでも私が欲しいのは、彼女の心からの言葉と表情だった。
――今すぐにそれを出すことは、恐らく難しいことなのだろうということも、わかってはいるのだが。
「……別に貴様のためでもないし、第三者の目を気にしているわけでもないわ」
私が黙って待っていると、しばらくの後に、彼女が相変わらず不機嫌そうな様子のままでそう呟いた。
「どうすればあなたがこれからの人生を幸福に生きられるのか、あなたではない私にはわからない。
だから本人に聞くのが一番だと思った――単にそういうことよ」
“貴様のためではない”との前言と、その言葉は明らかに矛盾している。
しかし、照れ隠しのような抑えられた声が、それが嘘ではないことを物語っていた。
複雑な感情が根底にあるとはいえ、彼女が望んでいるのは私の幸福なのだと感じる。
私はそれをうっかりとそれを表情に反映させてしまったらしい。
メイは少しうろたえるような姿勢を見せた後、突然腕を組んで、やや斜に構えて嘲笑を漏らす。
「――まあ、本当は貴様が私を憎んでいて、苦悩するのを見るのがお望みなら、それを満足させることも吝かではないということね」
普通なら全てを台無しにしそうな言葉を、彼女は惜しげもなく放った。
昨日今日と彼女が私と近付き過ぎないようにしているのは、伝わってくる。これはその一環だと思うべきだろう。
たまたま自分が彼女と似ているから何となくそのあたりも理解できたので、私はその言葉を真正面からは受け止めなかった。
そこが彼女の悪癖であることも、彼女が言葉通りの不安を抱えていることも確かなことだったが、
これから時間をかけて、そう言わせないようにしていけたらいい。私はそう思っていた。
「あいにく、そのような趣味はない」
落ち着いた声で私がそう応じると、若干後悔の色を浮かべていた彼女が、少しほっとしたように表情と姿勢を和らげる。
「――そうね。私の知っている御剣怜侍は、そういう人間だったわね」
それを謝罪の言葉だと受け取り、私は彼女に向かって頷いた。
彼女もそれで平静を取り戻したらしい。落ち着いた声で、再び私に語りかけてくる。
「貴様も分かっているでしょうけれど、私達は共にある限り蟠りを抱え続けることになるわ」
暗がりの中、真っ直ぐに私を見る目の光ははっきりと感じられた。
「それでも蟠りごと受け入れて、私と共にあることを望むか。それとも私を捨てて、柵から解放されるか」
――さあ、選びなさい。
そう言いたげに、差し出された手が開かれた。
「――君には、蟠りごと私を受け入れる覚悟があるのか」
最後に確認しておくべきだろうと思い、私はできるだけ神妙な声で彼女にそう問いかけた。
「私は結論を出した。――覚悟がなければ、こんなこと聞くはずがないわ」
彼女も同じ面持ちで、私に向かってそう応じる。
観察していた限り、彼女の声や全身には揺らぎが見られなかった。
「――では自ずと、私の答えも決まるな」
私が一歩前に進むと、メイは差し出した手を降ろそうとした。
手の届くうちにその手首を掴むと、私はもう一歩前に出る。
「私が幸福になるには、君が心から笑えることが前提だ。
――それが私の傍であるなら、私はこの上なく嬉しい」
そう伝えて、私は指と指が重なる様に触れた手を握り直した。
彼女はただ静かに私を見つめ、それからしばらくしてゆっくりと目を閉じた。
「では、私はこれからも貴様の面倒を見続けることになるということね」
少し楽しそうにそう言いながら、彼女は私の手を握り返す。
私も指に更なる力を入れて、それに応じた。
「まるで、兄弟に対する言い方をするのだな」
弟やコドモに向けるような台詞と表情が気になって、私の声は少しだけ拗ねたものになった。
すると彼女は、何故か幸せそうに笑った。
「まあ、そうね。貴様は危なっかしくて、本当に手間がかかるから」
私の望む形に適合しているかどうかは別として、私は彼女から愛されているのだと伝わってくる響きだった。
「あなたが女としての私を望むなら、それに応える心積もりはできているわ」
私が不満を漏らして伝えたかったことはちゃんと届いているらしく、彼女はそう付け加えた。
「君も、男としての私を望んでくれるだろうか?」
私が腰を落として間近で視線を合わせると、彼女はどぎまぎとした表情で目線を逸らす。
「……望んでいなければ、ここに荷物を取りに来るような事態は避けていたでしょうね」
ぽつりといったその言葉で、彼女の気持ちを推し量るには充分だった。
「蟠り」を受け入れる覚悟など、とうにできていた。
そして彼女が柵と呼ぶものは、私にとっては彼女と自分を繋ぐ糸の一つに過ぎない。
私に残るのは、この選択が彼女を苦しめるのではないかという不安だけだった。
――例えば、“甘い関係は許されない”と感じているのにこうして間近で見つめ合う今の状況も、彼女を苛むのではないだろうか、と。
だが彼女は、それでも私を受け入れて傍に居ても良いと言ってくれている。
だったら、私はできる限りのことをしよう――彼女が幸福でいられるように、この選択を後悔しないように。
そして、彼女が傍にいて良かったと思えるように、
私自身も幸せになれるよう努力をしよう。
そんな誓いを込めて唇を重ねると、握ったままの彼女の指がぎゅっと私の手の甲に絡みつく。
柔らかい感触を心地よさと安堵と感じながら、私は彼女が隣にいる未来を思い、幸福を感じていた。
<おわり>