冷たい空気が、その廊下を支配している。
並んで歩く私たちは、つい先程まで検事と特別弁護人として向かい合い法廷に立っていた。
お互いに一度検事局に寄る必要があるため、自然と同じ方向に向かっているところである。
ちらりと隣人の横顔を覗き込むと、声をかけるなと言わんばかりに冷たく前だけを見据えている。
話したいことは山ほどあるけれど、私は黙って彼女と並んで歩を進めた。
「あなたと私は、火と氷みたいなものね」
隣で、それまで黙っていた彼女がぽつりと呟く。
その頬は若干膨らんでいて年齢より幼い表情で、どこか拗ねているようにも見えた。
こんな表情を見るのは、久しぶりだ。――尤も、会うこと自体1年ぶりだったのだが。
「火と氷――互いの好む色からの連想だろうか?」
そちらを向いて問いかけてみると、相変わらず憮然とした表情の彼女が面白くなさそうに口を開いた。
「確かに、そこから考えたことだけれど」
「あなたはまるで火のようだわ。理想に燃えて、関心のあることにはすぐ熱くなる。
私は――厳しく冷淡だわ。氷のように」
涼しい青灰の瞳が、それを証明するかのように煌き、軽く私を睨み付ける。
目が合うと、彼女はぷいっと顔を背けて前へと歩き出す。
「火と氷が触れ合えば、瞬く間に氷は解けてしまう。
それと同じで、レイジと対峙すると、私はどうしても勝てないみたいね。
――たとえ、実力が同じレベルであっても。」
最後の一言は、語気を上げてことさらに強調しているように感じたが、気のせいだろうか。
「あなたが無意識のうちに、私を食ってしまうのよ」
不機嫌な声が、静かな廊下に反響する。
「あなたにとって私は、わざわざアメリカから呼び出すほど恰好のカモなんでしょうね。
けれど、私にとっては最悪の相性だわ。」
まるで久々の再会を嘆いているかのような彼女の言葉に、私の胸がずんと痛んだ。
数日前までは予定すらしていなかったこととはいえ、私にとってはとても嬉しいことだし、
同等の力をもってぶつかり合ったからこそ、私達は共に真相へと近づくことができたというのに。
どうして彼女は、それをわかってくれないのだろう。
そう心の中でぼやきながら、私は彼女の言葉を反芻する。
だが、途中まで思い出したところで妙に引っかかるものを感じて、思考が少しだけ横に逸れた。
「・・・何が、おかしいのよ」
しばらく考えていくうちに、私は彼女のロジックに滑稽さすら感じて、
思わず喉から笑みが零れるのを止めることができなかった。
敏感にその音に反応して、彼女が私を睨み付ける。
「返答によっては、容赦しないわよ!」
黒い革に包まれた人差し指が真っ直ぐに私の眼前につきつけられた。
ボルテージを上げて真っ直ぐ突っかかってくる彼女を見て、私ははつい微笑ましい気持ちを募らせる。
これだけ顕になっているのに、全く気付いていないのだろうか?
「君が私に勝てないと感じているのだとしたら――
それは君が自分の本質を理解していないことに起因するのだろうな」
私は楽しい気分を隠すことをやめて、そのままの表情で彼女にニヤリと語りかける。
彼女は狼狽と憤慨を顕にしながら、私に食って掛かった。
「ど、どういう意味よ!」
水色――彼女が好むそれは、確かに冷たい氷を表現することもできる色だ。
だが、それだけではない。
白く青い炎は一見静かで暖かさも伝わらないものだが、
赤のそれよりも、はるかに熱を持って燃えている。
一見冷ややかでいて熱く煌くその姿に、赤い炎が惹かれてやまぬことを
彼女はきっと知らないのだろう。
その熱に触れ、光に当てられて、私がどれだけ熱く燃えるのかということも。
――いつか気付いて、伝わればいい。自分の本質に。そして、私の思いの強さにも。
そう思いながら、私は遠まわりの言葉を彼女に向かって紡ぐ。
「いや――水色が表すものは水や氷だけではないし」
愛しい思いを隠さぬ表情のまま、きょとんとした顔をする彼女を見つめた。
「君と私は意外と、よく似ているのかもしれない、という話だよ――メイ。」
そう伝えても腑に落ちない彼女に対して、私は続けて言葉を添える。
「星だって、燃えるような赤よりも、一見涼しげに煌めく青や白の方がより熱く燃えているだろう。
私達は同じように炎を纏うが、君の方がより煌めいている、ということだ」
彼女が好きそうな星に準えたためか、メイは一瞬嬉しそうに顔を綻ばせる。
しかし次の刹那には、自らを我に戻すかのように首を振り、ぎゅっと目を瞑った。
「そんなに煽てたって、乗らないわよ」
そう言って、彼女は革手袋の人差し指を私の鼻の先に向ける。
「さっきも勝ち逃げした上で『最高のパートナー』だなんて――馬鹿にするにも程があるわ」
「あれは私の素直な好意と敬意なのだが」
そう弁解しても、彼女は機嫌を直すことなくギリギリと鞭を鳴らし続ける。
――私としては、ここはちゃんと受け止めて欲しかったのだが。
「だいたい、まだ1年経ってないし冬も終わっていないのに私を呼ぶなんて、約束不履行だわ」
余程イライラしているらしく、話が別の不満へと流れていく。だが――
「知らないのか?厳密に言うと日本は2月3日を過ぎると、暦の上では春だ。」
私が大真面目にそう訂正すると、メイは無表情で私の方を見た。
それからどうしようもないものを憐れむかのように、脱力して溜め息をつく。
「知ってるけど、そういう問題じゃないでしょう」
私も、それは一応わきまえていた。
「約束のことを失念していたわけではない。」
「この法廷は、私と志が近く実力のある君でなければならないと思ったのだよ。
成歩堂だって、君とならば安心して真相を追うことができるだろう。」
恐らく彼女にとって最高の賛辞を述べると、メイはそっぽをむいて腕を組んだ。
――素直ではないが、このわざとらしさは彼女が喜んでいると考えていいだろう。
メイはしばらくすると、ふうと溜息をついて私に向き直る。
「本当に、びっくりしたのよ。
――上司から夜中の1時に電話で叩き起こされて、突然日本に飛べなんて言われて。
その電話を切ったら、すぐに貴様が同じ内容の電話をかけてくるから」
「――すまない」
「別にいいわよ」
素直に謝ると、彼女はそう言って笑った。
「ただ、どうやって私の上司を動かしたのかはしらないけれど、あまり無茶はしないことね」
それはどちらかというと、心配しているといった口調だった。
「肝に、銘じておく」
私が嬉しさを隠しつつそう答えると、メイは「わかればいいのよ」と澄ました顔で言った。
「そう言えば――君の答えは出たのか」
少し前を歩いている彼女に、私はそう問いかける。
すると、メイは歩を進めたまま軽い口調で答えた。
「もちろん、まだよ」
「それも、そうか」
この再会は突然無理やりに設定されたものだったし、実際にはまだ1月は先の予定だったのだから。
私はそう思って、ぼんやりと溜息をつく。
それから少し現実に戻って前方を見ると――
「うわっ」
ヒュン、という音と共に痛そうなモノが目の前を通り過ぎた。
「個人的なことを気にしている場合じゃないでしょう」
鞭の持ち主が、裁判所の壁をピシリと打つ――床は絨毯で音が鳴らないから、わざわざ木の壁を打ったのだと思われる。
「早く手続きをして捜査に行きたいの。とりあえず、検事局に行くわよ!」
鞭だけを手にした身軽な彼女は、颯爽と駐車場へ向かっていく。
――私が今のところ弁護人側の人間だということは、すっかり念頭から消えてしまっているようである。
彼女が飛行場から直接持ち込んだ、出張用の大きな鞄は今、私の手に引かれ絨毯の上をコロコロと音を立てて動いていた。
大型のトランクと自分の荷物とを運ぶ私は、やや遅れて彼女を追いかけた。
傍から見ると完全に尻に敷かれている状態だったろうが、私は幸せそうに口を歪めながら彼女の姿を目で追う。
1年前と比べると、メイは元気で明るくなった。
そちらを実感することの方が、今の私にとっては非常に重要なことだったのである。
<おわり>