「返り討ち」

 

私が日本に来た理由を「復讐」だと告げると、大抵の人間は父か、
もしくは父を告発し失脚させた成歩堂龍一のことに言及する。

確かに私は成歩堂龍一に憎しみを抱いている。
そこに父の件が絡んでいることは否定しない。

けれど――パパの罪が明るみにさえならなければ――と、あの弁護士を責めているのは事実だけれど
それに対する“復讐”を正当化できないことくらい、「何でも人のせいにする」私にだって、わきまえることはできていた。

それでもあの男やその助手に鞭を向けてきたのは、他に理由があるからだ。

彼らと出くわすと、その度に痛いところを遠慮なく突かれ、足元がぐらつくような錯覚を味あわされる。

まるで、私の足場や歩んできた道の全てが崩れ、奈落の底に落ちていくような――
私がこれまで生きてきた全てを否定され、二度と立ち上がれなくなるかのような未知の恐怖が、そこに必ずつきまとっていた。

だから私は――前に進もうとするならば、彼らに打ち勝つ必要があった。
彼らを打ち負かすことで、自分を守り抜かなければならない。

パパは確かにしてはいけないことをした。
けれど、検事としては完璧な人だった。

パパは絶対の存在で、常に正しかった。
そのパパの教えを完璧に受け継いだ私が、絶対に間違っているわけがない。

それを証明するためにも、私は彼らを打倒せんと躍起になってきた。
けれど、これは後継者としての当然の義務ではあっても、復讐であるわけがない。


そもそも、私にとっての“復讐”とは、御剣怜侍を超えることに他ならなかった。
――いつも私を置いて先へ行ってしまってばかりだった男を、今度は私が置いて先へ行きたかった。

彼がいなくても前に進んでいけることを証明できれば、それでよかった。
――彼がいなくなったのは、“彼が私を”置いて行ったからではない。“私が彼を”置いていったからなのだ、と。

それをあの男にも知らしめることで、少しでもいいから私が抱き続けたあの絶望を味あわせてやりたかった。

そして、それを見届けた時にこそ――長い間私を苦しめた御剣怜侍の存在から解放されるのだと信じてきた。
 

けれど結局、絶望を味わったのは私の方だ。

あの男は宿敵を下し、勝訴を勝ち取った――彼自身は、そのことはどうでも良さそうだったが。
とにかくその結果、今後私が成歩堂龍一を倒すことができても、あの男を超えたことにはならなくなってしまった。

いや、そもそもそれ以前に、たとえどんな既成事実を得たとしても――

最後の法廷で見た彼は、威風堂々と己の役割を果たしていた。
本来の、実父から受け継いだ信念の通りに進めるようになったことで、その才能は生き生きと発揮されているように見えた。

しかも勝敗にこだわらなくなったことで、私には想像も理解もできない世界が、彼には見えているらしい。

こうして、天賦の才を持たない私には絶対に越えられない壁がたくさんあることを痛いほどに見せつけられ
私はどうやっても、検事として彼を追い抜くことなどできなくなってしまった。
まるで “試合に負けて、勝負も負けた”――そんな表現をしてもいいほどの完敗だ。

しかも――検事ではない、個人的な関係上での“復讐”の道まで、鎖されてしまっている。

あの男は分かり合える友人を得て、過去を吹っ切った。
表情も豊かで、穏やかになった。
彼はもう幸せに生きていけるだろう――私がいない、辿り着くことのできない場所で。

彼はもうひとりではない。信頼できる仲間も複数いるようだ。
かつてはほぼ唯一の拠所であったはずの私がいなくても、彼には何の痛手もない。

むしろ彼は私を憐れんで、世話を焼こうとしていたくらいだった。

親身な態度をしていたけれど、危うく信じそうになったけれど――
基本的に善良なあの男は、自分より弱くて能力の低い人間の不幸を望んでいる自分を、認められないだけだ。
憎んでいないと言ったのは本当かもしれないけれど――だとしたら、憎む価値すらないという意味なのだろう。。

とにかく、彼からはそうできるくらいの余裕が垣間見えた。
それは、私が彼に少しもダメージを与えることができなかったことを示している。

 
あの男は、恐らくここに留まるだろう。仲間のいる、この街に。

一方の私にはもう、ここに留まる理由は存在しない。
もし残ったとしても、ただ惨めで居心地が悪いだけだろう。

作ろうとしてこなかったから、私には味方や支援者がいない。 
これまでは父と繋がりのあった上層部の数人が後ろ盾のようなものだったけれど、
御剣怜侍が出てきた以上、付き合いが長く繋がりも深いであろう、あちらにつくのは目に見えている。

そして――父に関することを陰や聞こえよがしに言う人間は複数いたけれど
どんな不愉快な言葉も、矜持や信念があったからこそ撥ね続けることができていた。

けれど、二度敗北した私はもはや完璧な人間だという矜持を持てるわけがなく
完璧であることが必要条件だった“狩魔”の信念や、“天才”の威光に守られることも、もはや不可能だ。

味方はおらず、ただひたすら敵だらけの世界。
そして、そこで身を守る術も力もない自分。

その上、成歩堂龍一や御剣怜侍、そしてその周辺のヒゲや霊媒師達と顔を会わせ続けることを考えると――
――私はもう、ここにはいられない。

まとまらない頭の中で、それだけははっきりと理解できた。
 
 
普段から自宅にもオフィスにも、残して困るようなものは置いていない。
そして幸い、旅券やカードや現金――自由に動き回るために必要となる類のモノは、常に持ち歩いていた。

つまり何もしなくても、準備はすでに整っている――

それに気がついた私は、何の迷いもなく、外で客待ちをしていたタクシーに乗り込んだ。

行き先を告げてしまえば、あとの全てはもうどうでも良くなり、頭からストンと抜けてしまう。

放棄することで誰かに皺寄せが行くであろう仕事のことも、治療の終わっていない傷のことも、
――バッグに入ったままになっている、余計な荷物の存在も。

 

<おわり>